粗大ゴミのこれからの目標
Sが日本で生まれたのは偶然の産物からだった。
高度経済成長期の1965年頃のこと。
首都圏に2店強ほどの規模しかなかったスーパー設け、提携企業探しの調査を始めた。
他のスーパーと同様、Y堂は単独出店により店舗網を広げていたが、米国では既にスーパーや百貨店を核店舗とし、専門店や飲食施設を数多くそろえたショッピングセンターフ(SC)方式の出店が本格化していた。
流通先進国と言われる米国に活路を見いだそうとしたY堂創業者で社長のI(現S名誉会長)は、米国流のSC開発を新規事業に据えることにした。
業務開発室の仕事はテナント誘致のための企業選定だった。
この新組織のトップには、人事・広報などを担当する取締役のS(現S会長兼最高経営責任者)が就き、数人のメンバーで米国の有力企業の調査・提携打診に乗り出した。
当然のことながらSCに入居する企業の候補の中に「S」があるはずもなく、Sらはこのコンビニエンスストアを運営するS社の存在すら知らなかった。
当時、一大ブームを巻き起こした専門店事業や外食事業などが候補に挙がったが、Iはなかなか首を縦に振らなかった。
何事にも慎重なIはSらにこう厳命した。
「Y堂の暖簾を守ること」この言葉には「新規事業は絶対に失敗させてはならない」、「流通分野に絞って考えろ」という意味が込められていた。
そしてIはこうも付け加えた。
「いろんな人から意見を聞き、いろんなところを見てきなさい」SやY堂古参社員としてIからの信頼の厚い店舗開発部総括マネージャーのS秀雄らはたびたび米国に出向き、郊外型のショッピングセンターを視察し、人気の高い専門店企業などを物色していた。
「どうせ組むならナンバーワン企業と組みたい」トップ企業には他社の追随を許さない独特のノウハウがあると見ていたからだ。
Y堂はスーパー業界でD、S(現西友)、J(現イオン)、Yなどの後塵を拝し8番手だった。
堅実経営では知られていたが、中堅スーパーの域を出ていなかった。
売上高260億円程度のY堂が身の程知らずに米国のトップ企業ヘアプローチを続けていた。
しかし、有力チェーンを視察すればするほど、日本市場で根付くかどうか疑問が湧いてきた。
商慣習の違いだけでなく気候、生活習慣、出店立地など様々な面で日本と異なることに気が付くようになり、日本に持ち込んだところで壁にぶつかるのではないかと、感じるようになってきた。
全米トップの流通企業のシアーズーローバック。
日本のスーパー経営者にとってあこがれの存在の巨人は売上高が2兆円近くあり、日本の国家予算と肩を並べていた。
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